ティロ脳

まどマギ考察を言い訳にした屁理屈サイト。でも全ては愛なので許してください。

暁美ほむらのソウルジェムを限界まで濁らせたもの

 魔法少女のソウルジェムが濁るのは、魔力を使った場合と、絶望などのネガティブな感情を感じた場合です。『叛逆の物語』の物語が始まるに先立って、ほむらがジェムを限界まで濁らせた理由についても、どちらの可能性も十分にありだと思います。
 ただ、『叛逆の物語』中でほむらが抱えていた悩みが、彼女のジェムを濁らせた理由と直結していると考えるならば、絶望を原因とすることで色々と深読みができそうです。いくらかの仮説を交えて考察してみたいと思います。



 まず、まどかの世界改変から、ほむらがインキュベーターに捕まるまでの経過時間を考えてみます。
 これについては諸説あるようですが、断定できるような決定的証拠は無いような気がします。そこで私は、『叛逆の物語』に登場する一般人が本編から歳を取っていないことを重視し、かつ、その期間があまりに短いのも無理があると考えて、2~3ヶ月から長くとも半年程度と仮定しました。これを前提に話を進めます。


 改変後の世界を生きるほむらの描写は、さやかが魔力を使い果たして消滅する場面から始まります。
 今までの記憶では必ず魔女化してきたさやかですが、この世界では魔女化せずに円環の理へと導かれました。確かに、まどかは世界を改変して、魔法少女を絶望の運命から救い出してくれているのです。しかしそれを目の当たりにしたマミも杏子も、まどかのことを知りません。円環の理を物理法則と何ら変わらない、無機的な現象と捉えています。
 それどころか、ほむら自身もまどかを認知できませんでした。たった今目の前に現れてくれたはずのまどかを、見ることも聞くことも感じることもできなかったのです。それがどれだけ寂しくとも、どれだけ悔しくとも、虚空に向かってまどかの名前を呼びかけるしかないのがほむらでした。


 それでも彼女は、この悲しみを乗り越えることができたと私は考えます。
 「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど、だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なんだ。それを、覚えてる。決して、忘れたりしない。だから私は、戦い続ける」
 ほむらはこう誓い、改変後の世界を生き続ける決心をしました。それが手の届かない遠くに行ってしまったまどかにしてあげられる、唯一のことだから。そして、ただ一人まどかを覚えていることで、彼女の特別な存在でいられるから。
 ここに至って、ほむらの精神はかつてない安定を見ることになります。その根底を支えているのが、「いつか訪れる終末の日、あの懐かしい笑顔と再びめぐり合える」という、死に対する希望でしょう。死は絶望の先にあるものと考えられがちですが、「死ねば極楽浄土(天国)に行ける」と考える信仰が多くの支持を得ていることを考えれば、それほど特殊な感覚ではないのかも知れません。
 希望が大きくなれば、ソウルジェムの濁りは抑えられます。新たな生きる意義を見出し、いつ終るとも知れぬタイムループからも、ワルプルギスの夜のプレッシャーからも開放されたほむらからは、ソウルジェムが穢れを溜め込む要素はほとんど見当たりません。


 さらにこの状況を後押ししているのが、マミと杏子の存在でしょう。ほむらとこの二人との間にある程度の信頼関係があったことは、各所から伺い知ることができるからです。
 ベテラン同士の連携は、魔力を効率的に使うことを可能にします。また、ほむらの精神が不安定になった場合も(まどかに早く会いたいとの思いからジェムの穢れを放置する、とか)、彼女たちはすぐさま手を打ってくるでしょう。
 以上、ほむら自身の精神状態や彼女を取り巻く状況を考えたとき、たった数ヶ月で彼女のジェムが濁り切るとは考えにくいと私は思うのです。



 しかし現実は、こんな状態は長く続きませんでした。はむらがまどかを忘れそうになったからです。まどかが実在していたことに確信が持てなくなるほどに、記憶があいまいになったからです。

 『叛逆の物語』において、ほむらは自分が置かれていた状況を話しています。
 「…私ね、とても怖い夢を見たの。あなたがもう二度と会えないほど、遠いところへ行っちゃって。なのに世界中のだれもかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えているたった一人の人間として取り残されて…。寂しいのに、悲しいのに、その気持ちを誰にもわかってもらえない…。そのうちまどかの思い出は、私が勝手に作り出した絵空事じゃないかって、自分自身さえ信じられなくなって…」
 改変後のほむらにとって、唯一の生存意義は「まどかが守ろうとした場所を守る」ことでした。唯一の希望は「あの懐かしい笑顔と再びめぐり合える」ことでした。そんなほむらですから、まどかを忘れそうになった瞬間に、彼女を支えていた精神的基盤は瓦解へと向かいます。


 しかし、こんなことってありえるのでしょうか。いくら孤独だったとしても、そんな状況が何千年続いたとしても、ほむらはまどかを忘れることだけはしないのではないでしょうか。それだけの強さとしつこさを持ち合わせているのが暁美ほむらだと、私は思うのですが。それがほんの数ヶ月でまどかを忘れかけるなんて、ちょっと尋常ではない気がするのです。
 これはほむら自身に原因を求めるよりも、彼女に対して何らかの外的な力が働いた可能性を疑って良いかもしれません。


 一つの仮説を立ててみます。 
 まどかが概念になった後も、ほむら一人がまどかのことを覚えていました。これは奇跡とされています。奇跡とは、裏を返せば条理に反するものであり、この世界の歪みです。だから、「やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理」となります。
 例えばさやかは、恭介の手を治すという奇跡の代償として、仁美に取られるという形で恭介を失い、絶望へと至りました。それと同じことが、ほむらにも起こったとは考えられないでしょうか。つまり、まどかを覚えているという奇跡に対して、条理の力が代償として働き、ほむらの記憶が消されてしまったのではないかと思うのです。
 しかしほむらにとって、まどかの記憶は自分の存在意義そのものであり、とうてい受け入れるわけにはいかなかったでしょう。必死で抗い、まどかの記憶を保持しようと足掻いたと思います。それでも徐々に薄れてゆく記憶……。
 当時のほむらは、この条理の働きを多分知らなかったでしょうから、自分に非があると感じたと思います。まどかを忘れその存在を疑うという、一番自分がやってはいけないことをやってしまった。これはまどかに対する最大の裏切りだ!
 そんな自分自身に対する憎悪はやがて絶望となり、一挙にジェムを限界まで濁らせたのではないかと、私は思うのです。


 かくして、まどかを覚えることで始まったほむらの希望は、まどかを忘れることで絶望へと変わっていきます。繰り返しになりますが、それがこの残酷な物語における当然の摂理であり、幾多の魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだからです。



 ん? だから『叛逆の物語』のほむらは、条理に叛逆するために円環の理からまどかの記録(記憶)を奪ったわけ?
 どうもまどか改変後からのほむらは、「記憶」がキーワードかも知れません。この辺については、もう少し考察を進められる可能性がありそうです。
(「まどかがヒトでなくなる前の“記録”…って何?」も参照してくれたら、それはとっても嬉しいなって)





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