ティロ脳

まどマギ考察を言い訳にした屁理屈サイト。でも全ては愛なので許してください。

ヒトとしての彼女の“記録”…って何?


※ テキストばかりでは殺風景なので、適宜キャプ画を挟み込んでいこうと思います。



 「私が奪ったのは、ほんの断片でしかないわ。まどかがまどかでなくなる前の、ヒトとしての彼女の記録だけ」


 時々「記憶」としている表記を目にしますが、パッケージ版を聞いてもコミカライズ版を見ても「記録」となっているので、こちらが正解でしょう。
(※ 後日追記:すみません、事実誤認してました。コミカライズ版では「記憶」となってましたので、どちらが正しいかの判断は保留します。千和さんの読み違えの可能性も…?)
 『叛逆の物語』において、ほむらは、まどかを裂いて半分をこの世界に残しました。なぜなら、魔法少女になる前のまどかが、「誰とだってお別れしたくない」と考えていたことを知ったから――と言うのが『叛逆の物語』に対する一般的な解釈だと思います。
 今のまどかの気持ちではなく、昔のまどかの気持ちを指すのであれば、「記録」を「記憶」の意味で捉えてもよいでしょう。話全体の流れから判断するならば、「記録」という言葉に引っかかるよりも、頭の中で「記憶」と読み替えた方が辻褄が合いやすい。むしろ、しっくりくるぐらいです。
 しかし、それで丸く収めれば収めるほど、「記録」という言葉の異質さが浮かび上がってこないでしょうか。そもそも、なぜ虚淵氏はこんな変な言葉を選んだのでしょう。「記録」という言葉が意味するものをそのまま受け取ることで、別の解釈が成り立つのであれば、そこに隠された意図が見えてくるかも知れません。
 



 「記録」という言葉を辞書で引くと、「のちのちまで残すために物事を書きしるすこと(大辞林)」とあります。「記憶」よりも冷たくて事務的なニュアンスです。
 まどかの「記録」と言って思いつくのは、役所の戸籍、顧客名簿のデータ、鹿目知久と詢子の長女、見滝原中学2年在籍、といったところでしょうか。プライベートな面にまで踏み込むと、ピンクの髪と瞳、優しい性格、美樹さやか・志筑仁美の親友、等々。これらは全て、まどか自身の一部ではありません。周りの人が持つ、彼女に関しての情報です。

 で、いきなり結論から入ります。ひょっとしてほむらが円環の理から奪ったのは、これだったのではないでしょうか。まどかの存在する円環の理にだけ、彼女の「記録」があるからです。そして、ほむら自身は「まどかを裂いた」とは一言も言っていません。


 では、なぜ「記録」なのか。ほむらには、そうせざるを得ない事情があったと私は考えます。
 お花畑でのほむらの告白を引用します。
 「……あなたが、もう二度と会えない程、遠いところへ行っちゃって、なのに世界中のだれもかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えているたった一人の人間として取り残されて……」
 彼女が強調したのは、まどかがいなくなってしまったことではありません。世界中のだれもが、まどかのことを忘れてしまったことです。これが一番耐えがたかった。
 また本編12話では、概念に成り果てたまどかが「この世界に生きた証も、その記憶も、もう何処にも残されていない」ことに対して、「これじゃ、死ぬのよりも、もっとひどい……」と嘆いています。
 これは、ほむらの一貫した思い。だからこそ、せめてこれだけは何とかしたかったのではないでしょうか。
 鹿目まどかは確かに存在しているのよ!
 みんな、まどかを認識して!
 家族として、友人として、同じ世界の住人として、まどかのいる時間を過ごしてあげて!


 もはや叛逆とは言えない、小さな小さなほむらのワガママ。それどころか、まどかの気持ちを100%尊重した上で、本人ですら諦めていた孤独の運命に、救いの手を差し伸べたのではないか、とも思えてくるのです。

 そう考えると、最初に紹介したほむらの言葉が、妙にしっくりきてしまいます。
 「私が奪ったのは、ほんの断片でしかないわ」
 私は何も悪いことをしていない、といった言い草です。まどかの思いを踏みにじっていないとすれば、確かに何も悪くありません。また「記憶」よりも「記録」の方が、「ほんの断片」のイメージに近くなります。
 「まどかがまどかでなくなる前の、ヒトとしての彼女の記録だけ」
 まどかが魔法少女になろうが魔女になろうが、ヒトとしての「記録」はこの世界に残ります。概念になって初めて、ヒトとしての「記録」はこの世界から消え去ります。ゆえに「まどかでなくなる前」は、「概念になる前」と考えた方が自然でしょう。


 かくしてほむらは、円環の理からまどかの「記録」を奪いました。奪って、現実世界の人たちに「記録」を植えつけました。鹿目まどかを認識できるようにしたのです。
 なぜ彼女にそれができたのか、という疑問には『叛逆の物語』でほむらが得た既知の能力、「記憶操作」の応用で説明が可能でしょう。
 もしかしたら帰国子女設定のまどかは、ほとんど実態が無いのかも知れません。それでも確かに、彼女が幸せに暮らす『君の銀の庭』ではあるのです。



 とまあ、ここまで書いておいて何ですが、これはこれで色々と苦しい所が出てきそうです。『叛逆の物語』のタイトルにも叛逆してますし。
 とは言え、ほむら改変後の世界がどういうものなのか、私たちは断片的な情報しか知らされていません。全てが伏線に思えるし、全てが引っかけにも思えます。また、描写の無いところで、何らかの心境の変化がほむらにあったのかも知れません。
 今は、様々な可能性の妄想を楽しみつつ、来るべきその日に備えたいと思います。




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