ティロ脳

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強大すぎる魔力がもたらした代償 ~ 異説 悪魔ほむら論(3/3)

「“まどかを覚えていたい”との願いで、リボほむは魔法少女となった ~ 異説 悪魔ほむら論(1/3)」「まどかの記憶を巡る暁美ほむらの戦い ~ 異説 悪魔ほむら論(2/3)」の続きです。 


 前回までの考察で私は、悪魔ほむらは何か特別な能力を持っているわけではない、と結論づけました。それでは、ほむらの悪魔化とは何だったのでしょうか。
 そこに触れる前に、彼女の能力のポテンシャルについて考えてみます。



 ほむらは記憶の具現化の魔法を使って、自在に戦闘スタイルを変えることができます。剣などを使えば接近戦も可能ですし(体力を使うので、あまりやらないと思いますが)、ティロ・フィナーレをぶっ放すことだってできます。さらには、トマホークや地雷原などの近代兵器から、ワルプルギスの夜のビル体当たり攻撃まで、記憶にあるものなら何でも具現化してしまうでしょう。それも時間操作付きで。これはもう、チートどころかほとんど無敵。最強の魔法少女と言って良いと思います。
 記憶の具現化は戦闘以外にも利用できます。小腹が空いたらパンを具現化すればいいし、消しゴムを忘れても隣の人から借りなくていい――といった細かなことはさておき。彼女が記憶しているものなら、金銀財宝から大邸宅まで何でも具現化できます。その気になれば、好き放題できてしまうのです。
 また記憶操作の魔法は、ある程度人心を操ることができます。自分の都合の良いように、社会のルールを変えることも可能でしょう。極端な話、一国の権力者として君臨することも不可能ではありません。
 おそらくこれがキュゥべえの言う、「歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた」魔法少女のレベルなのだと思われます。


 もっとも、実際にどこまでそれが可能かは、彼女が持つ魔力の大きさに制限されます。しかし多くの方が指摘してきたように、ほむら自身もまた、度重なる時間遡行で因果を束ねてしまった存在です。まどか並に破格な素質が備わっていた可能性は、十分考えられるでしょう。彼女の魔力のポテンシャルは、ほとんど無限大と言って良いかも知れません。
 そこにほむらは気付いてしまうのです。あまりにも強大すぎる魔力に。この世界に対する影響力の大きさに。もはや、いち魔法少女の範疇には収まらない存在となってしまったことに。


 ここでようやく、悪魔ほむらとは何なのかとの答えにたどり着きました。悪魔ほむらとは、魔法少女暁美ほむらが、己の強大すぎる魔力を自覚した姿ではないでしょうか。



 そう考えると次のほむらの発言も、少し意味が違ってくるかも知れません。
 「今の私は魔なるもの。摂理を乱し、この世界を蹂躙する存在。神の理に抗うのも当然のことでしょう?」
 「円環の理の一部をもぎ取っていった」と抗議するさやかとの会話の流れで出てきた言葉ですが、彼女はもっと広い意味で使っている可能性があるのです。
 「今の私は魔なるもの」――まず、自分はもういち魔法少女ではない、と断っているのでしょう。「魔なるもの」については、後ほど改めて触れたいと思います。
 「摂理を乱し、この世界を蹂躙する存在」――先に述べたように、自分はこの世界を意のままに操れるほど強大な力を持った存在である、との意味にも取れます。
 「神の理に抗うのも当然のことでしょう?」――「神の理」から、どうしても「円環の理」を連想してしまいますが、この世界を支配する条理の力とも受け取れます。実際ほむらは、条理に抗ってまどかをこの世界に現存させたからです。
 やはり悪魔化後のほむらは、自分の力を自覚し、正確に把握している様子が伺えます。


 さて、そうなると残る疑問は、ほむらが自覚したタイミングです。
 それを思わせる描写が見当たらないので、勝手に想像させてもらうならば、彼女の悪魔化の直前あたりと考えるのが自然でしょう。そのきっかけとなりそうなのが、魔女化前のキュゥべえとのやり取りです。彼の長台詞の中に、重大なヒントが一通り語られていた可能性があるからです。
 自分の固有魔法は記憶の具現化であること、その応用で記憶操作もできること、まどかを覚えていることは条理に反した奇跡であること、つまりこの世界の自分は、まどかを覚える願いで魔法少女になったらしいこと……。
 ほむらとしても、長い間自分の固有魔法を掴みかねていた以上、自分が何者なのかをずっと考えてきたことでしょう。キュゥべえの話を聞くことで、彼女は初めて自分の能力を正しく認識できたという推察も、あながち突飛ではない気がするのです。
 もっとも、その段階ではまだ半信半疑で、まどかを捕まえた「叛逆」は一か八かの賭けだったかも知れません。それでも、まどかの「記録」を円環の理から奪うのに成功し、それに伴って世界が改変されたことを見て、ほむらは確信へと至ったのでしょう。これが悪魔化の瞬間ではないかと、私は思います。


 あと余談になりますが、その後のキュゥべえはデビほむによって大変な目に会います。その覚醒を手助けしたのが、孵卵器たるインキュベーター自身だったとすれば皮肉な話です。



 かくしてほむらは、強大な魔力を使って世界の新しいあり方を創造しました。その後の彼女は、世界を牛耳り、社会を新しいステージへと導くのでしょうか。
 それはないと思います。まどかのこと意外はいたって無関心な彼女です。多くの方が仰る通り、インキュベーターの動向を牽制しつつ、この世界の安定をコントロールしながら、まどかが幸せに過ごす姿を遠くから眺めていられれば、多分それで満足するのだと私も思います。
 ただ、ほむらが自分自身の力をどう評価しているかを考えると、彼女の性格から言って、もっと抑制的な方向に向かうかも知れません。


 ほむらの魔力は、この世界に対してあまりにも強大すぎます。欲しいものは簡単に手に入れられますし、誰かから攻撃されても一撃で撃退してしまうでしょう(ゆえに、続編のさやかにはイヤな予感しかないのですがw)。特にやっかいなのは、他人の心まで操れることです。多分、彼女はそんな自分の魔力を、恐ろしいと感じていると思います。悪魔のようだと思っていると思います。そして、己の欲望のためだけにその力を使った自分自身を、醜いと感じていると思います。
 ほむらが自分自身を「魔なるもの」と言っているのは、そんなネガティブな自己評価の表れなのではないでしょうか。
 だとすれば、もうこれ以上は自分の力を発動させないように、誰とも関わらない所まで距離を置こうと考えたとしても、無理も無いことかも知れません。さやかを挑発しつつも争わない方向にし向け、人知れずマミや杏子に別れを告げたのには、その意思表示だったのでしょう。

 これまでのほむらの人生は、あまりにも過酷でした。過酷な人生の果てに得たものは、あまりにも強大な力でした。とうてい誰かに分かってもらえる話ではないでしょう。今の彼女にしてみれば、孤独の中に平安を求めるしかないのかも知れません。
 こうして人から距離を置いたら、この世界からも距離を置こう。何ものからも心を乱されず、息を潜めて静かに生きていこう。そして自分の存在をもっともっと希薄化して、極力誰からも認識されずに生きていこう。そう、この世界を統べる概念のように……。
 『叛逆の物語』ラストのほむらの身投げは、この世界から降りる、という意味だったのかも知れません。



 最後に、少し抽象的な話を。
 悪魔のごとき力を持った暁美ほむらが生まれたのは、まさに鹿目まどかという神が生まれた瞬間でした。光が生まれれば影が生まれるように、表が生まれれば裏が生まれるように、陽が生まれれば陰が生まれるように、神が生まれた瞬間に、今のほむらは生み落とされたのです。
 そういった意味で、ほむらは神まどかの対となる存在です。悪魔が神の対義語であるならば、彼女はまさしく「悪魔とでも呼ぶしかない」存在でしょう。そこに、ことの善悪はありません。ただただ神の対としての悪魔です。
 

 思い返してみれば、まどかが魔法少女としてほむらの前に現れたことで、時間遡行者ほむらが生まれました。ほむらが時間遡行を繰り返すことで、まどかは神になる道を選びました。神まどかが生まれたことで、悪魔ほむらが生まれました。そして悪魔ほむらの叛逆で、まどかはこの世界での存在を取り戻したのです。
 鹿目まどかと暁美ほむら……小さくとも崇高な二つの魂は、出会った瞬間から、互いに表と裏を交代しながら絡み合う二重螺旋のようにして、物語を紡いできました。『叛逆の物語』のラスト、半分だけの月はまどかを、半分だけの大地はほむらを表しているのかも知れません。どちらも一人なら半分だけ。二人合わさって完全となります。
 一つの魂が別れて二人の人格となる、ツインソウルという概念が実在するならば、まさしくこの二人がそうなのでしょう。


 今、ほむらの気持ちを理解して寄り添うことができるのは、自らも概念の世界に住む、神まどかだけです。今後、彼女が何らかのアクションを起こすなら、そこから新しい物語が動き出すかも知れません。そんな妄想をしつつ、「異説 悪魔ほむら論」を終えたいと思います。


 


 ……しかし何ですな。よくもまあ好き勝手こじつけたもんだと。新房監督も「ほむらだけがまどかを覚えているようにしたのは、まどかの失敗」と言ってますから、前提条件からして違うし。
 でもまあ、これはこれで改変後のほむらの物語にはなってると思うので、独自解釈に基づく二次創作として、大目に見ていただければ嬉しいです。 


※ よろしければ、今回の考察の元となった記事にも目を通していただければ幸いです。
 「ヒトとしての彼女の“記録”…って何?」
 「暁美ほむらのソウルジェムを限界まで濁らせたもの」





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まどかの記憶を巡る暁美ほむらの戦い ~ 異説 悪魔ほむら論(2/3)


「“まどかを覚えていたい”との願いで、リボほむは魔法少女となった ~ 異説 悪魔ほむら論(1/3)」の続きです。



 舞台は『叛逆の物語』へと移ります。半魔女化したほむらが作った結界内での、彼女の能力を見てみましょう。
 元々魔女には、多少なりとも思いを具現化する能力がありました。お菓子の魔女はお菓子を作り出し、人魚の魔女は音楽を作り出し、結界内をそれで満たしていることからも分かります。特に、記憶の具現化がほむらの固有魔法です。結界内に見滝原の街を丸々再現させたことは、驚くには値しないでしょう。
 またここでのほむらは、前の世界での戦闘スタイルを復活させています。彼女自身に時間停止の魔法と銃器操作の記憶があるわけですから、これも記憶の具現化で説明できます。もっとも、この結界内は彼女の願望の世界ですから、何でもありという設定なのかも知れませんが。


 さて、この結界内でのほむらには、新しい能力が発現します。記憶操作です。これにより、奇妙な法則が支配する結界内で、住人たちは何の違和感もなく生活できたのです。
 『叛逆の物語』内で何の説明もなく出てきた能力ですが、これは他人の記憶の中に別の記憶を具現化させた、と考えることで説明が可能かも知れません。元の魔法を別方向に発展させた感じでしょうか。マミがリボンの拘束魔法を発展させて、マスケット銃を作り出すようなものと考えれば良いでしょう。


 かくして、ほむらの魔法は一応の完成を見ることとなりました。とは言え、彼女の本体が置かれた状況を考えると、無意識の発動だったのかも知れません。



 その後、魔女化を乗り越えたほむらは、円環の理から「まどかがまどかでなくなる前の、人としての彼女の記録」を奪います。以下、一般的な解釈とは異なり「記憶」にこだわった仮説ですが…。


 「まどかの記録」という言葉をそのままの意味で受け取るならば、役所の戸籍、見滝原中学2年在籍、ピンクの髪と瞳…といったものが挙げられます。これはまどか自身の一部ではありません。周りの人が持つ彼女に関しての情報です。言い方を変えれば、彼女を認識させるものです。
 もしほむらのあの行為が、まどか自身を裂いたのではなく、彼女の言葉通りまどかの「記録」だけを奪ったのであれば、彼女が既に持っている記憶操作の応用で、実現が可能かも知れません。「愛」が奇跡を起こしたわけでもなく、未知の悪魔的な力が働いたわけでもなく、「彼女を守る私になりたい」との願いが成就したわけでもなく、ほむら自身の魔法でこれをやり遂げたのです。
 また、ここで彼女は初めて意識的に記憶操作の魔法を使ったことも、特筆すべきことです。


 しかし、単にこの世界の人にまどかを認識させるだけなら、ほむらが持つ既存の能力で可能だと思います。つまり、ほむらの中にあるまどかの記憶を具現化し、周りの人の記憶を操作すれば良いわけです。わざわざあの瞬間を狙って、円環の理から「記録」を奪う必要はないのではないでしょうか。
 しかし、それでは不十分だと思います。以下も仮説ですが…。


 この物語において、奇跡とは条理に反するものであるため、「やがてそこから災厄が生まれるのは当然の摂理」とされています。逆に、キュゥべえが杏子に「魔法少女は条理を覆す存在」と言ったことから推察するに、魔法については、いくら使っても災厄は生まれないようです。
 これを前提とするならば、『叛逆の物語』直前のほむらがなぜ、まどかが実在していたことに確信が持てなくなるほどに、記憶があいまいになったかが説明できます。彼女が改変前の世界の記憶を保持しているのは、奇跡によるものでした。しかしそれが条理に反するものであったため、やがて条理の力が働き、これらの記憶が消され始めたのだと考えられるからです。
 しかし幸いなことに、結界の中での様々な出来事を通して、ほむらは記憶を取り戻しました。それで「叛逆」が実行できたのですが、再び記憶が消さるようなことがあれば、まどかに関する魔法は効力を失います。そうなれば今度こそ、この世界にあるまどかの全てが消え去ってしまいますし、インキュベーターの手から円環の理を守ることもできなくなってしまうでしょう。
 だからこそ、彼女の記憶によらないまどかの「記録」が必要になります。唯一まどかの「記録」がある円環の理から、それを奪う必要があったのです。そして奪った「記録」を、記憶操作の応用でこの世界の人々に植え付けたのだと思います。

 


 これで鹿目まどかは、だれもが自発的に認識できる存在となりました。ほむら一人だけがまどかを記憶するという「奇跡」は存在しなくなったのです。条理にかなう状態となったほむらの記憶は、もう消されることはありません。しかも、これは魔法によって引き起こされたわけですから、そこから災厄は生まれないのです。
 こうして全ての条件を整え、ほむらはまどかをこの世界に登場させました。


 ところで、例の赤いリボンはまどかの記憶の象徴であり、この世にまどかが存在していたことを証明する物的証拠でした。今、まどかの「記録」を取り戻した世界では、まどかの記憶はほむら一人だけのものではありません。いつまでもリボンを大切に持ち続ける必要はなくなったのです。
 だからほむらはまどかにリボンを返した、との解釈もできると思います。
 ここまで書いて、私は思います。『叛逆の物語』とは、暁美ほむらが残酷な条理に対して叛逆した物語ではなかったかと。


 これ以降については説明の繰り返しになるので、簡単に触れていきます。
 元円環の鞄持ちのさやかについては、やはり要注意人物としてマークが必要でしょう。彼女が記憶を取り戻すことは、この世界の不安定要因となることが予測できるからです。ただ、記憶操作時に手を叩いたのは、単なるポーズであり一種のじゃれ合いかと。
 また、他の人たちに対しても、様々な所に気を配って手を加えていることが伺えます。これも自分の能力を正しく認識したほむらにとっては、ごく簡単な記憶操作でしょう。
 ボロ雑巾キュゥべえについては、別の記事を製作中ですので、今は概要のみを述べておきます。インキュベーターにも感情があることを見抜いたほむらは、彼らに恐怖の記憶を植え付けることで、二度と円環の理には手を出せないようにした、と。



 って、悪魔ほむらはどうした?
 そうなんです。ほむらはわざわざ悪魔という特別な存在にならなくても、改変後に会得した記憶の具現化と記憶操作という魔法少女の能力だけで、『叛逆の物語』の全てが実行できてしまうのです。結局、最後までほむらはいち魔法少女であり、悪魔化で新たに獲得した特殊能力は何も発見できなかった、というのがとりあえずの結論です。
 しかし、もう少しほむらの能力を掘り下げていくと、とんでもないポテンシャルに気が付きます。そこから、悪魔ほむらとは何なのかが見えてきそうなので、次回にお話したいと思います。


「強大すぎる魔力がもたらした代償 ~ 異説 悪魔ほむら論(3/3)」に続きます。





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“まどかを覚えていたい”との願いで、リボほむは魔法少女となった ~ 異説 悪魔ほむら論(1/3)

 あまりにも衝撃的だったデビほむの登場。妖艶なコスチューム、やたら壮大な発言、キャラ豹変(悪魔と合体してデビルマンとなった不動明を彷彿とさせますね)などもあいまって、悪魔ほむらに対しては「何か知らんけど、悪魔ヤベエ」というイメージだけが一人歩きしているような気がします。
 しかし、デビほむが実際どれほどヤバイ能力を持っているのか、その正体は何者なのか、今はまだ多くの謎に包まれています。そこで、今私たちが知りうるものに妄想を交えて、理論的な説明を試みてました。
 キーワードは「記憶」です。これはこれで辻褄が合わない所が出てきますが、逆に今まであまり注目されてこなかったものが拾えそうです。細かい所には目をつぶって、行ける所まで行ってみたいと思います。
 なお今回は、今までの考察を発展させた部分もあります。一部内容の重複がありますことをご了承ください。



 最初に、なぜ私が「記憶」をキーワードと考えたかについて述べさせてください。過去の記事の中から2箇所を、一部修正の上再掲します。


 「……あなたが、もう二度と会えないほど、遠いところへ行っちゃって、なのに世界中のだれもかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えているたった一人の人間として取り残されて……そのうちまどかの思い出は、私が勝手に作り出した絵空事じゃないかって、自分自身さえ信じられなくなって…」
 彼女が強調したのは、まどかがいなくなってしまったことではありません。世界中の誰もがまどかのことを忘れ、かつ自分自身もが忘れそうになってしまったことです。これが一番耐えがたかった。
 また本編12話では、概念と成り果てたまどかが「この世界に生きた証も、その記憶も、もう何処にも残されていない」ことに対して、「これじゃ、死ぬのよりも、もっとひどい……」と嘆いています。
 ほむらの一貫した思いです。


 「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど、だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なんだ。それを、覚えてる。決して、忘れたりしない。だから私は、戦い続ける」
 ほむらはこう誓い、改変後の世界を生き続ける決心をしました。それが手の届かない遠くに行ってしまったまどかにしてあげられる、唯一のことだから。そして、ただ一人まどかを覚えていることで、彼女の特別な存在でいられるから。
 しかし『叛逆の物語』直前の彼女は、まどかを忘れその存在を疑うという、一番自分がやってはいけないことをやってしまいました。これは、まどかに対する最大の裏切りにほかなりません。
 そんな自分自身に対する憎悪はやがて絶望となり、一挙にジェムを限界まで濁らせたのではないかと、私は思うのです。


 さらに一節を書き加えます。
 世界の誰からも認識されず忘れ去られてしまうことは、あまりにも孤独です。しかし概念となり果てたまどかは、そのことについて最後まで触れませんでした。「これからの私はね、いつでもどこにでもいるの。だから見えなくても聞こえなくても、私はほむらちゃんの傍にいるよ」と、片方向のコミュニケーションを強調するのみ。彼女自身も、ほむら以外の人から自分が忘れ去られるのは諦めてしまっているようです。
 しかしほむらは諦めませんでした。改変後の世界を生きながら、ずっとずっと答えを探し求めてきました。そして、あの「叛逆」に辿り着いたと思うのです。



 それでは、本題に入ります。
 デビほむの能力を解析するには、その前の状態から時系列に沿って順番に考えた方が、理解しやすいと思われます。なぜなら、細部にわたってきっちりと因果関係を積み上げながら進むのが、まどマギという物語だからです。そこでまず、まどか改変直後のほむら、いわゆるリボほむから見ていきましょう。全ての基礎があるはずです。
 リボほむについて分かっていることは、ただ一人改変前の世界の記憶を保持していること、時間操作の能力が失われていること、そしてまどか同様に弓を武器としていることです。それぞれについて、細かく検証してみます。


 改変前の世界で、ほむらは「私は、鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」との願いで魔法少女になりました。しかし、改変後の世界に鹿目まどかは存在しません。誰の記憶や想像の中にもありません。先の願いはありえない願いなのです。したがって、この願いで魔法少女になった暁美ほむらは、改変後の世界には存在しないことになります。
 改変後の世界でのほむらが時間操作の能力を待たないのは、これで説明できるでしょう。魔法少女の固有魔法は、契約時の願いに応じて獲得されるからです。


 さて、存在しないものを記憶しているとすれば、その記憶は偽物です。それこそ「頭の中にしかない夢物語」でしかありません。しかし、ほむらが持つまどかの記憶は本物でした。その物的証拠として、まどかから託された赤いリボンまで持っています。
 何度も言いますが、改変後の世界においてこれはありえないことです。ありえないことが実際にあるとするならば、それは奇跡が起きたことにほかなりません。
 この物語で奇跡を起こす方法はただ一つ。インキュベーターに願いを告げて、契約することでした。つまり、改変後のほむらがまどかの記憶を持っているという奇跡を起こすには、「改変後もまどかのことを覚えていたい」との願いでほむらが契約しなければなりません。この経緯があってはじめて、リボほむは改変後の世界に存在できるのです。
 また、この願いにより獲得した彼女の固有魔法も、記憶に関連するものであることが予測できます。


 なお余談になりますが、改変後の世界には元々、まどかを知らないほむら(B)が存在していた可能性があります。しかし、彼女がどんな人なのか、私たちが知るすべはありません。ほむら(B)の記憶は、改変前の世界から来たほむらの記憶に取って代わられるからです。もしほむら(B)が魔法少女になっていたとしても、願いに応じて獲得した固有魔法は、記憶と同時に消滅していることでしょう。

 

 う~ん、説明が難しいな。一応今言った所も含めて、「ほむらの体感時間」という図で整理してみました。これで少しは分かってもらえるでしょうか?
 ……しかし、すげー時間の辿り方してるな、この子。



 それでは、リボほむの弓から、彼女の固有魔法を推察していきましょう。
 ほむらは、まどかをはじめとする前の世界の記憶をそのまま持って、改変後の世界を生きはじめます。厳密に言うと、改変後の世界において、まどかの記憶を持つという奇跡が起きた瞬間からが、改変後の世界での人生ということになります。
 だとすれば彼女は、改変後の世界の情報や交わされた契約の記憶がありません。つまり魔獣の存在も、それに対抗する固有魔法や武器も、何も分からない状態で新しい世界に放り出されたことになります。ほむらも相当困ったと思われます。


 これは全くの想像ですが、得体の知れない敵に対峙して、ほむらはまどかに祈ったのではないでしょうか。
 「私、時間操作の能力を失ったみたいなの。どうしたらいい? 教えて、まどか……」
 そうしたら、ボンッと弓が現れて「そうなのね! ありがとう、まどか!」
 まあ、こんな感じだったかどうかは分かりませんが、ほむらはよく分からないままに弓という武器を得て、魔獣と戦い始めたと思います。
 この現象を記憶というキーワードから読み解くと、ほむらの固有魔法が見えてきます。多分彼女の固有魔法は、記憶を具現化することではないでしょうか。まどかが戦う姿を思い出すことで、まどかの武器である弓を具現化させたのかも知れません。公式の発表は無かったと思いますが、その後の彼女も見ても、多分この線が濃厚だと思います。
 ただこの段階でのほむらは、まだ自分の固有魔法が理解できていなかったと思われます。



「まどかの記憶を巡る暁美ほむらの戦い ~ 異説 悪魔ほむら論(2/3)」 「強大すぎる魔力がもたらした代償 ~ 異説 悪魔ほむら論(3/3)」に続きます。




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