ティロ脳

まどマギ考察を言い訳にした屁理屈サイト。でも全ては愛なので許してください。

少女たちの願いは、なぜエントロピーを凌駕するのか ~ まどマギから考える時間の多次元構造(4/4)

 「暁美ほむらの時間遡行を、三次元時間で説明してみる」「鹿目まどかは本当に神になったのか」「世界の改変・契約による奇跡・時間遡行」の続きです。
 「人間の魂が熱力学の法則に縛られない」理由についても、時間の多次元構造から説明できる可能性がありますので、最後に少し述べさせてください。また「魂」という言葉には「心・精神」という意味もある(デジタル大辞泉)ので、心から生じる希望や絶望などの様々な感情も「魂」と同じ性質を持つとして話を進めます。


※ ここでは、エントロピーを一般的に理解されている「無秩序の度合い」として扱いますが、物語中で説明されている「エネルギーのロス」と捉えても、まあ結論は同じだと思います。



 「暁美ほむらの時間遡行を、三次元時間で説明してみる」で述べたとおり、私たちは「過去―現在―未来」が1本の線で繋がっている、時間一次元の世界に生きています。この世界は、熱力学の法則をはじめとする、私たちが知る様々な物理法則に支配された世界です。
 しかし、私たちの意識する未来は、様々な選択肢によって扇形に開いており、二次元の広がりを持っています。だとすれば、私たちの心は時間二次元にあるとは考えれられないでしょうか。つまり人間の魂は、時間二次元にありながらも時間一次元の世界を生きていることにならないか、と思うのです。
 確かに人間の肉体だけを見ると、成長や生命維持そして運動に費やされたエネルギーは、エントロピーの法則に従っているかも知れません。しかし人間の心は、重力に逆らって空を飛ぶことができます。今という時間から逸脱して、未来の様々な可能性を思い巡らしたり、過去の思い出に浸ることもできます。時間二次元にある魂が、時間一次元の世界を支配する物理法則に縛られないことは、十分に考えられるのではないでしょうか。


 考えてみれば、生命自体が不思議な現象です。単なる物質の集合から複雑な遺伝情報を作り出して繁殖し、その進化とともに多様で複雑な生態系を作り上げてきました。あたかも、エントロピーに抗う存在であるかのようです。
 人間も生物の一員であるのなら、その本質もまた、エントロピーに抗う存在なのかも知れません。個人の一生の中で、あるいは長い歴史の中で、人類は様々な複雑で秩序だったものを創造してきました。その一番の原動力となっているのが、希望をはじめとする感情エネルギーであることは、感覚的に理解できると思います。だからこそ私たちは、人間の感情こそがエントロピーを凌駕する力を持つ、というこの物語の設定に、不思議な説得力を感じるのかも知れません。
 この物語に登場する少女たちの小さな願いもまた、大きなエネルギーを秘めているわけです。



 ところで、私たち人類のテクノロジーは、時間一次元にある物質やエネルギーは観測できますが、時間二次元の魂や時間四次元の神は観測できません(心を扱う心理学も、直接心を観測しているわけではありません)。これらは実態が捉えられないので、科学の埒外として、宗教や文学などの領域で扱うものだとされているのです。
 しかし、インキュベーターのテクノロジーは違います。感情を実態のあるエネルギーに変換したり、魂を肉体からソウルジェムに移し変えたりしました。さらには、神であるまど神(円環の理)の制御も可能だと考えています。
 その根底には、次元の高低にかかわらず森羅万象は全て科学の範疇に収まりうる、という哲学があるのでしょう。感情や宗教心などを持たず、神秘という概念のない彼らだからこそできる、ある意味極めて合理的なアプローチだと言えます。
 そういった意味で、彼らのテクノロジーは人類のテクノロジーが進化した姿ではなく、全く違った進化を遂げたタイプだと考えてよいかも知れません。



 これで「まどマギから考える時間の多次元構造」は終わりです。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
 それにしても、こんなファンタジーにも、それなりに理論的な説明の試みが可能なのは面白いです。それだけ虚淵氏の設定が、きっちりと理論的に組み立てられていると言うことでなのでしょう。
 とまあ分かったようなことを言いましたが、最初に書いた通り、ここにある時間論や因果論はずぶの素人の戯言です。トンデモなく間違っている可能性大ですので、あしからずご了承ください。





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世界の改変・契約による奇跡・時間遡行 ~ まどマギから考える時間の多次元構造(3/4)

 「暁美ほむらの時間遡行を、三次元時間で説明してみる」「鹿目まどかは本当に神になったのか」の続きです。
 今回は、まどかとほむらによる2度の世界改変、インキュベーターとの契約による奇跡、ほむらの時間遡行という事象について、因果律への影響と時間の多次元構造を当てはめて、それぞれの説明を試みたいと思います。



 まず、まどかによる世界の改変です。
 世界が改変されるためは、全ての時間軸において、因果律に反する介入が必要だと考えられます。実際まどかの願いにより、それまでの因果関係を超越して、全ての場所と時間の魔女が生まれなくなりましたし、まどか自身も消滅してしまいました。このことにより、因果律の破綻が起きて時間が断絶。それに伴ってそれまでの世界が消滅し、新しい因果律に対応した世界が生まれたということで、世界の改変が説明できると思います。(図⑦参照)
 キュゥべえは改変の原因を、希望と絶望の云々で説明していますが、ことはもっと単純に、「因果律そのものに対する極めて大規模な叛逆」があったためと考えるだけで十分なのかも知れません。



 次に、ほむらによる世界改変です。
 こちらも、「過去の記憶にも未来の可能性にも存在しない」まどかを現存させたことと、さやかとなぎさをこの世界に残したことが、「因果律そのものに対する大規模な叛逆」をもたらし、それが時間を断絶させて、世界の改変が起きたと考えられます。ただ、因果律の破綻がその時間軸だけの出来事であれば、改変が他の時間軸には及んでいないかも知れません。このあたりは、なぜ彼女はまどかを裂く力を得たのかといった疑問を含め、もう少し詳細が分かってからでないと、断定は難しいでしょう。
 いずれにせよデビほむの影響力は、全ての場所と時間に及んでいるわけではなさそうなので、八次元にあるまど神と並び立つような、大それた存在ではないことは確かです。


 続いて、インキュベーターとの契約による奇跡についてです。
 これはちょっと説明がつきにくいのですが、要はごく局地的に生じた因果律に反する小さな矛盾を、この物語では奇跡と呼んでいるのでしょう。
 矛盾が小さかったので、その時間軸の時間を断絶させるには至りませんが、何らかの問題が生じる可能性はあります。そこで、「どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理」とのキュゥべえの言葉通り、因果律の矛盾に対する自動的な解消が、災厄という形で起きるのかも知れません。


 最後にほむらの時間遡行についてです。
 時間遡行にはいくつかのパターンが考えられますが、遡行先の世界でその人が二人存在するというのは、あまりにも因果律に対する矛盾が大きくなります。また、遡行先の肉体と意識がすり替わったとしても、1ヶ月間でいくらかの肉体的な変化はあるはずなので、何らかの矛盾が生じると思います。
 逆に、一番矛盾が少ない方法は、遡行者の意識だけが遡行先の意識とすり替わることでしょう。しかしこれだと、ほむらのループ2週目の冒頭で、彼女の手にソウルジェムが握られていたことが説明できません。そこで、彼女の記憶を持ったソウルジェムだけが時間遡行する、という方法が妥当だと考えられます。
 それでは、ほむらの時間遡行は、遡行先の世界に歪みを生まなかったのでしょうか。一見そのようにも見えますが、周回を重ねるごとにワルプルギスの夜が強力になる事実、4週目以降のまどかが最強の魔法少女(=最悪の魔女)になるという事実が、もっとスケールの大きい歪み(災厄)を表していると考えられるかも知れません。
 やはり、条理にそぐわない奇跡は願うものではないという設定が、ここでも生きているのではないでしょうか。




少女たちの願いは、なぜエントロピーを凌駕するのか」に続きます。





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鹿目まどかは本当に神になったのか ~ まどマギから考える時間の多次元構造(2/4)

 「暁美ほむらの時間遡行を、三次元時間で説明してみる」の続きです。
 ここでは、時間の多次元構造から神とは何かとの定義を試み、そこから、まどかは本当に神になったのかについて考えてみたいと思います。



 まず12話の、「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」とのまどかの願いを検証してみます。キュゥべえは契約を律儀に遂行しますから、この願いは過不足なく成就したものと考えます。
 「全ての宇宙」とは、私たちが住むこの三次元空間の全ての場所と言い換えることができます。全ての場所の魔女化を防ぐには、瞬時に空間を移動する能力、つまり空間を歪めて2点間をショートカット(空間ワープ)する能力が必要であり、それは三次元空間の一次元上、つまり四次元空間を経由することで可能になります。(図⑥左参照)
 また「全ての過去と未来」とは、他の時間軸を含む三次元時間の全ての時間と言い換えることができます。全ての時間の魔女化を防ぐには、瞬時に時間を移動できる能力、つまり時間を歪めて2点間をショートカットする能力(時間ワープ)が必要であり、それは三次元時間の一次元上、つまり四次元時間を経由することで可能になります。(図⑥右参照)


 ちなみに、魔法少女やキュゥべえたちが使う念話も、この時間ワープで説明できるかも知れません。と言うのも、AさんがBさんにCという言葉を伝えたいと思った時間から、途中の経過を全てショートカットして、BさんがAさんのCという言葉を聞いた時間にまで時間ワープした、と考えることが可能だからです。



 さて、先の話より、まどかの願いがこの世界に実現するには、四次元空間プラス四次元時間の八次元時空からの働きかけが必要ということになります。そしてその作業をまどか自身が行うためには、私たちが住んでいる四次元自空の世界(空間三次元プラス時間一次元)から、一挙にこの八次元時空の世界に引き上げらなければなりません。
 この八次元時空の世界から私たちの住む世界を見てみると、全ての空間そして全ての時間の出来事が同時に見え、それらが意味することも瞬時に理解することができるようになります。これはいわゆる「全知」の状態です。そしてそこに何らかの意思と行動が伴えば、いわゆる「全能」の状態となります。それを実現させる方法は「全知」の状態で知っており、かつそれが実現する時間までワープできるからです。
 「全知」「全能」の存在を、私たちは神と呼びます。つまり、多次元構造の世界から見た神の定義は、「八次元時空にある意識体」と言えるのではないでしょうか。


 次に、まど神が実際に神としての能力を得たのかについてを検証してみます。
 まどかはほむらに対して、「だからね、全部わかったよ。いくつもの時間で、ほむらちゃんが、私のためにがんばってくれたこと、何もかも」と言っています。これはまどかが、全ての時間軸のほむらを見て理解したことを表しています。また、「これからの私はね、いつでもどこにでもいるの。だから見えなくても聞こえなくても、私はほむらちゃんの傍にいるよ」との発言は、まどかがほむらの生きるこれからの全ての空間と時間に、遍在していることを表しています。さらには、まどか自身が全ての魔法少女を救済していることで、全能の能力の一端が示されます。
 以上より、対象が限定的ではあるものの、まど神は理論的にも能力的にも、神としての性質を備えていることが分かります。問題なく神認定してもよいでしょう。



 さて、ここからは想像の域になりますが、まどかのような普通の女の子の意識が、いきなり八次元時空の世界に行って神になったとして、果たしてメンタルを保てるのかという懸念があります。
 私たちの意識は、この世界で小さな肉体に閉じ込められ、ごく限られた認知力と干渉力の中で生きています。だからこそ道に迷い、目的達成のためにあくせく行動しているのですが、それがちょっと意識を向けただけで知ってしまい、ちょっと思っただけで実現する八次元の世界は、あまりに環境が違いすぎるし、それにともなう責任は想像を絶するものがあると思うのです。
 当時のまどかの願いは尊いと思いますし、私もそれを支持したい気持ちもあります。しかし本当のところは、まどか自身も神になって初めて気付いたことが多かったでしょう。人類の歴史を見ても、四次元から八次元にいきなりシフトして平気なのは、最初から神の世界を知りその覚悟のあった、イエス・キリストや阿弥陀菩薩レベルの、超人的に崇高な精神を持った人ぐらいではないでしょうか。
 そういった意味で、人間としてのまどかをこの世界に取り戻したほむらの「叛逆」は、本人がそこまで考えていなかったにしろ、正しい判断だったのかも知れません。



世界の改変・契約による奇跡・時間遡行」「少女たちの願いは、なぜエントロピーを凌駕するのか」に続きます。





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