ティロ脳

まどマギ考察を言い訳にした屁理屈サイト。でも全ては愛なので許してください。

暁美ほむらの時間遡行を、三次元時間で説明してみる ~ まどマギから考える時間の多次元構造(1/4)

 私は昔から時間に興味があり、時間の成立を「原因→結果」という因果関係から考えてきました。かなり綿密に時間構造と因果論が盛り込まれたまどマギの世界設定は、私にとって大きなヒントとなりましたので、とりあえず一度整理してみたいと思います。4回に分けて記事を書きましたので、よろしければお付き合いください。
 1回目は、ほむらの体験や時間遡行を例に、時間の多次元構造についての説明を試みてみました。科学っぽいことを書いてますが、全てはずぶの素人の戯言です。時間についての反論やご教示を(バカな私にも分かるように)いただける方がいらっしゃれば、この上なく幸いです。



 一般的に私たちは、時間を「過去―現在―未来」の一本の線、つまり一次元として捉えています。現実問題として、私たちがその時々に取りうる選択(原因)は一つだけであり、その結果生じる結果も一つだけなので、一次元の時間しか経験できないわけです。それを本編のほむらの体験に即してみると、図①のようになります。



 しかし、その時々において取りうる選択はひとつだけでも、考えうる選択肢は無数にあります。つまり時間は未来に向けて一方向だけに伸びているのではなく、扇形に広がっているというイメージでしょう。つまり、私たちが意識する時間は横の広がりを持っており、図②のように二次元のフィールドの中を一次元的に進んでいるのが、私たちの時間感覚と考えられないでしょうか。



 これを本編のほむらに当てはめてみたのが図③です。
 図②に、ほむらがその時々に取った選択(原因)によって引き起こされるであろう様々な結果(四角で囲んだ「まどか契約」など)を書き加えてみました。なお、個々の結果の可能性について厳密に精査したわけではないので、あくまでもイメージとして捉えてください。
 例えば、ほむらが最初からマミに対して友好的な態度を取った場合、マミの戦死は防げたかもしれません。しかしその場合、まどかがシャルロッテ戦の直後に契約してしまう可能性は高くなります。このように、ほむらのある選択が原因となってそれに対応する結果が生じ、またそれに対して様々な選択肢が生まれてくる、というイメージが分かっていただけるかと思います。



 以上が二次元の広がりを持つ時間のモデルですが、それに三次元の広がりを持たせたのが図④です。
 二次元に広がった時間軸のシートが何枚も縦に重なったイメージで、それぞれのシートが個別の時間軸(平行世界・パラレルワールド)を表しています。この時間軸は無限に存在していますが、過去や未来が現在から遠くなるほど現在と違った状況になるのと同じく、遠い時間軸ほど現在とは違う状況を呈しています。
 なお、平行世界の存在については、理論的にありえるとの学説があるようです。



 先の三次元時間モデルに、ほむらの時間遡行(赤い手書き線)を加えたものが図⑤です。
 実際に移動した時間軸の他にも、図中では灰色で示したように多くの時間軸があるのですが、遡行先毎にほむらを取り巻く状況がまちまちだったことを考えると、多分彼女は行き先をコントロールできずに、結構ランダムに飛ばされている気がします。
 また、全く同じ時間軸への時間遡行は、ほむらレベルの精度では非常に難しいかも知れません。と言うのも、素粒子レベルで全く同じ状況の過去へ移動しなければならないと考えられるからです。



 こうしてまどマギの舞台となる世界の時間構造を見てみると、この物語は科学的にちゃんと説明できる世界であることが分かります。それでは、この物語のどこまでが科学的に正しく、どこからが非科学的なファンタジーと考えられるでしょうか。
 ここでは、時間を因果関係から連続的に生起する変化であるとして、話を進めてきました。この考えでいくと、それぞれの時間軸における因果関係はその時間軸内で完結しており、他の時間軸に影響を与えることはありえないとこになります。と言うのも、平行とは「どこまでいっても交わらない」ことを意味するため、他の平行時間に対しては因果関係が及ばず、移動はおろか、影響を与えることも認知することも理論的に不可能だからです。
 つまりこの物語の設定は、平行世界の存在までは科学的な裏付けがあり、その上で「暁美ほむらによる他時間軸への移動と記憶の継続」「他の時間軸の因果線が全て今の時間軸のまどかに連結される」といった設定が、非科学的なファンタジーとして付加されたと言うことができると思います。



鹿目まどかは本当に神になったのか」「世界の改変・契約による奇跡・時間遡行」「少女たちの願いは、なぜエントロピーを凌駕するのか」に続きます。





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ご挨拶

 明けましておめでとうございます。
 昨年12月にコソッと始まった「ティロ脳」ですが、まずはこんな辺鄙なブログまで足をお運びいただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。


 今さらですが、少しだけ自分自身のことを話させてください。


 私がまどマギを知ったのは、プロフにもありますように『叛逆の物語』公開を記念してテレビ放映された前後編を観た時でした(名前ぐらいは知ってましたが)。
 それまでは、アニメにそれほど興味を持っていたわけではなかったのですが、MCの東野幸治があまりにも薦めてくるので、まあそこまで言うのならお付き合いしようかと思ったのが運の尽き。とにかくその内容に衝撃を受け、泣きながら床に入ったのを覚えています。
 翌日曜はまどマギのことがひと時も頭を離れなれず、月曜もその状態が続いたので、仕事を早目に片付けて『叛逆の物語』を観に行ったら、別の意味で衝撃を受けて、それから数日間まどマギ関連のネットを見まくっているうちに、各キャラクターに完全に感情移入してしまい、気が付いたらズッポリとはまり込んでしまった、というわけです。


 こうして、他のことを考えている時以外は、ひたすらまどマギのことを考える生活が1年ほど続いたのですが、正直言って私は年齢的なこともあり、アニメについて語り合える知り合いがいません。どこかで自分の考えを吐き出さないとおかしくなりそうになったのが、ブログを始めたきっかけです。
 様々なことを様々な角度から考えてきたので、今はまどマギに対する統一した見解があるわけではありません。今後エントリーする記事の間で矛盾する記述もあるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。


 また、この1年間余り、まどマギという作品自体はもとより、本当に多くの方の考察や二次製作から刺激を受け、感動し、時には涙を流しながら読ませていただきました。これら全てが、今の私を形作っています。
 今となってはどこにあったのか思い出せない記事もたくさんありますので、大変失礼ではありますが、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。


 今年こそは、新作の発表があればいいですね。
 皆様にとって良い1年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。


 

                             2015年元旦  紫雲

姫路山陽百貨店の「まどか☆マギカショップ」に行ってきました

※ ローカルネタおよび、個人的な体験によるネガティブな内容が含まれています。ご注意ください。



 26日の午後、予定がまるっと空いたので、気晴らしドライブを兼ねて、姫路駅前の姫路山陽百貨店「まどか☆マギカショップ」に行ってきました。奈良から120km、結構渋滞があったので2時間かけて。
 熱心と思われるかも知れませんが、私はうろちょろするのが好きなので、休日の過ごし方ってこんなもんです。意味も無く琵琶湖一週ドライブしたり、JR和歌山線沿線の温泉施設をハシゴしたり。そう言えば『叛逆の物語』の見納めは、新快速に乗って敦賀まで行きましたね。楽しい小旅行でした。


 で、私は元々グッズ欲は強くなくて、目当ての商品があったわけではないのですが、やっぱりまどマギ空間に取り込まれるのは楽しいものです。そんな中で思いがけず見つけたのが、山川賢一著『成熟という檻』とハノカゲ著『魔法少女まどか☆まどか The different story』上中下巻。
 ニワカの宿命として買いそびれていた本なのですが、ずっと気になっていたものです。今回、実物を手に取って内容を確認した上で購入できたことは、大きな収穫でした。


 まあこれで十分満足だったのですが、買い物の途中でちょっと気になる店員の会話を耳にしました。
 「(チラシ)配れた?」「興味のある人はいいんですけど、そうでない人の『何これ!』という反応が多くて、心が折れました(大意)」「そっか」
 そんな話ファンに聞こえるような所でするなよ!ということは、まあ置いときます。でも、そうなるだろうなとも思います。彼女らは多分アニメには興味が無くて、たまたま「まどマギショップ」に配属されただけなのでしょう。(彼女たちからすれば)もっさい野郎がボツポツと来店するだけのオタク向けイベントでは、モチベーションが上がらないのは仕方無いことかも知れません。
 実際、平日の午後だからだと思うのですが、ショップのお客さんは少なかったです。30分ほどそこにいたのですが、その間にレジを通ったのが2名だけ。例のエプロンも大量に陳列されていました。地方都市のショップって、こんなものなのでしょうか?
 そもそも山陽百貨店自体からして、このイベントに対する熱意が感じられず(ほとんど宣伝していない)、個人を責める気にはあまりなれなかったので、私は何だか少し申し訳ない気持ちになって、あれこれ商品を買い足してレジに持って行きました。
 



 ところで、これは私の個人的な感想なのですが、奈良という地方都市に住んでいると、まどマギが流行ってることにあまり実感が持てません。
 奈良市近郊の映画館では、『叛逆の物語』の入場者特典が、大阪や京都よりずっと後になっても手に入りました。私が観に行ったのは平日のレイトショーが多かったのですが、封切直後を除いてほとんどが入場者数10人前後。必ず良席が取れるのは嬉しいのですが、いつ上映が打ち切られるかという不安も感じていた記憶があります。
 またグッズや本の販売についても、日頃からうろちょろし回ってるから分かるのですが、大都市と地方都市そして農村部では、大きな違いを感じます。ローソンなどで関連商品が発売されるたびに、「近所数件を回ったけど全て売り切れ!」とかいう大都市在住者の書き込みが見られますが、うちの近所では5日後でもちゃんと残っています。もっと田舎(山の中で国道沿いにポツンとある店とか)だと、大都市では影も形も無くなったずっと後でも、入荷時と同じ状態で陳列されてたりもします。


 では奈良の人口がそれだけ少ないのかと言えば、多分それだけの問題ではないでしょう。
 奈良から通勤通学で大阪や京都へ通っている人の多くは、そこで映画を見たり買い物をしてから奈良に帰るのではないでしょうか。またそうでない人にとっても、映画を観たり買い物や食事をするために大阪に行くことは、ごく日常的な感覚だと思います。電車で30分程度の距離なのですから。
 ところが大阪の人にとっての奈良は、すごく遠くにあってたまに行く観光地ぐらいの感覚だそうです。当然、自分達が映画を観たり買い物をする所だとは、想像だにしていません。
 このことは、全国の大都市とその郊外で見られる現象だと思います。


 でも冷静に考えれば分かることですが、郊外から大都市に行くのも大都市から郊外に行くのも、条件は同じです。そして郊外では、大都市では得にくい映画館の良席や人気グッズが簡単に手に入ります。
 特に車での移動が可能な人は、ぜひ試してみて欲しいと思います。仕事やレジャーのついででもいいです。ふと立ち寄った本屋やコンビニで、諦めていたあの商品が見つかるかも知れません。
 また話は姫路のまどマギショップに戻りますが、神戸や大阪(同じ距離なら岡山も)の人も、思い切って姫路まで買い物に出かけてもらえればと思います。あの店員たちにまどマギの良さを分かってもらうのは難しいかも知れませんが、せめて「まどマギショップをやってよかった」と思えるだけの賑わいと売り上げを見せつけるのも、ファンとしての愛情表現だと思うのです。


 だれも見ていないブログで吼えても、何の足しにもならないのですが…






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