ティロ脳

まどマギ考察を言い訳にした屁理屈サイト。でも全ては愛なので許してください。

黄イロイオ姉チャン

 以前、某掲示板に投稿したミニSSです。お恥ずかしい限りのものですが、せっかく自分のブログができたので、誤字訂正の上で掲載してみました。設定が超いいかげんですが、そこは雰囲気重視ってことで。

 それにしても、SSっていいですね。たった1行のせりふで、全てが伝わることもある。いつかは、そんなSSを書いてみたいものです。


 



   ~ 黄イロイオ姉チャン ~




 アタシネ、夢ヲミタノ


 黄イロイオ姉チャント、ケーキヲ食ベタノ


 オ姉チャントッテモ優シクテ


 イッパイイッパイオ話シタノ


 ソシタラネ……




 (バタン)


 ア、ダレカキタ…


 黄イロイオ姉チャンダ!


 オ姉チャン、ケーキイッパイアルヨ!

 (ポテッ)


マミ「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせて!」


 イッショニ食ベ…
 (キュイーン)


 オカシモイッパイ…
 (バコッ)


 イッパイオ話…
 (ダンッ)



 …オ姉チャン、オコッテルノ?
 (ダダダッ)


 ナンデ優シクシテクレナイノ?
 (ガッ)


 イタイヨ、オ姉チャン
 (バキュッ)


 アタシ、イイ子ニスルカラ
 (シュルシュルシュル)


マミ「ティロ・フィナーレ!」


 モウオコラナイデ……

  (バスッ!)



 ナンデ…?


 ネエ、ナンデ…?


 オ姉チャン、ナンデナノ!

 (ガブッ、モグモグモグ…)




 黄イロイオ姉チャン、アタシノナカ


 コレカラハ、イツモイッショダネ


 ウレシイナ…




ほむら「こいつを仕留めるのは、私!」
 (シュタッ)


 ダカラ、ジャマシナイデ!


 (ドガガガガッ、ドカーンッ!)




........................


..............


......


..





 アタシ、イナクナッチャッタ


 黄イロイオ姉チャン、イナクナッチャッタ


 ケーキモオカシモ、消エチャッタ



 チーズガ…食ベ……タイ………ナ…… … ..  .



 .


 .


 .



 気ガツイタラネ、アタシオ空ニイタノ


 ピンクノオ姉チャン、アオイオ姉チャン


 ヤサシクシテクレタノ


 デモ、黄イロイオ姉チャンイナイノ


 ケーキモオカシモ無イノ


 チーズガ食ベタイナ…




まどか「ねえ、シャルロッテ。今から行く世界ではね、
    思ったことはちゃんと口に出さないとダメだよ。
    できる?」


 ウン…


まどか「ほら、また心の中で返事した」


 「ウン!」


まどか「OK! じゃあ、行ってらっしゃい!」




ソレカラネ、黒クテ大キナ手ガアタシヲツカンデ


キラキラヒカル石ノナカ、ツレテイッタノ


「ソウルジャム」ッテ言ウンダッテ




..


......


............


......................




 (ポテッ)


 ココドコ?
 (キョロキョロ)


マミ「最後にフルーツを乗せて…」


 ア、黄イロイオ姉チャンダ!
 (トテトテトテ)


マミ「よし、上出来!」


 ネエ、アタシイイ子ニスルカラ
 (ヨイショ、ヨイショ)


マミ「では、今日も侘びしくひとりケーキ」


 イッショニ…
 (おすわりっ)


マミ「いただきま~…」


 ア、ソウダ
 (深呼吸スゥ~)


マミ「えっ?」




ベベ「イッショニ、ケーキ食ベヨ!」
 (ニカッ)

                   



     ~ おしまい ~





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ヒトとしての彼女の“記録”…って何?


※ テキストばかりでは殺風景なので、適宜キャプ画を挟み込んでいこうと思います。



 「私が奪ったのは、ほんの断片でしかないわ。まどかがまどかでなくなる前の、ヒトとしての彼女の記録だけ」


 時々「記憶」としている表記を目にしますが、パッケージ版を聞いてもコミカライズ版を見ても「記録」となっているので、こちらが正解でしょう。
(※ 後日追記:すみません、事実誤認してました。コミカライズ版では「記憶」となってましたので、どちらが正しいかの判断は保留します。千和さんの読み違えの可能性も…?)
 『叛逆の物語』において、ほむらは、まどかを裂いて半分をこの世界に残しました。なぜなら、魔法少女になる前のまどかが、「誰とだってお別れしたくない」と考えていたことを知ったから――と言うのが『叛逆の物語』に対する一般的な解釈だと思います。
 今のまどかの気持ちではなく、昔のまどかの気持ちを指すのであれば、「記録」を「記憶」の意味で捉えてもよいでしょう。話全体の流れから判断するならば、「記録」という言葉に引っかかるよりも、頭の中で「記憶」と読み替えた方が辻褄が合いやすい。むしろ、しっくりくるぐらいです。
 しかし、それで丸く収めれば収めるほど、「記録」という言葉の異質さが浮かび上がってこないでしょうか。そもそも、なぜ虚淵氏はこんな変な言葉を選んだのでしょう。「記録」という言葉が意味するものをそのまま受け取ることで、別の解釈が成り立つのであれば、そこに隠された意図が見えてくるかも知れません。
 



 「記録」という言葉を辞書で引くと、「のちのちまで残すために物事を書きしるすこと(大辞林)」とあります。「記憶」よりも冷たくて事務的なニュアンスです。
 まどかの「記録」と言って思いつくのは、役所の戸籍、顧客名簿のデータ、鹿目知久と詢子の長女、見滝原中学2年在籍、といったところでしょうか。プライベートな面にまで踏み込むと、ピンクの髪と瞳、優しい性格、美樹さやか・志筑仁美の親友、等々。これらは全て、まどか自身の一部ではありません。周りの人が持つ、彼女に関しての情報です。

 で、いきなり結論から入ります。ひょっとしてほむらが円環の理から奪ったのは、これだったのではないでしょうか。まどかの存在する円環の理にだけ、彼女の「記録」があるからです。そして、ほむら自身は「まどかを裂いた」とは一言も言っていません。


 では、なぜ「記録」なのか。ほむらには、そうせざるを得ない事情があったと私は考えます。
 お花畑でのほむらの告白を引用します。
 「……あなたが、もう二度と会えない程、遠いところへ行っちゃって、なのに世界中のだれもかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えているたった一人の人間として取り残されて……」
 彼女が強調したのは、まどかがいなくなってしまったことではありません。世界中のだれもが、まどかのことを忘れてしまったことです。これが一番耐えがたかった。
 また本編12話では、概念に成り果てたまどかが「この世界に生きた証も、その記憶も、もう何処にも残されていない」ことに対して、「これじゃ、死ぬのよりも、もっとひどい……」と嘆いています。
 これは、ほむらの一貫した思い。だからこそ、せめてこれだけは何とかしたかったのではないでしょうか。
 鹿目まどかは確かに存在しているのよ!
 みんな、まどかを認識して!
 家族として、友人として、同じ世界の住人として、まどかのいる時間を過ごしてあげて!


 もはや叛逆とは言えない、小さな小さなほむらのワガママ。それどころか、まどかの気持ちを100%尊重した上で、本人ですら諦めていた孤独の運命に、救いの手を差し伸べたのではないか、とも思えてくるのです。

 そう考えると、最初に紹介したほむらの言葉が、妙にしっくりきてしまいます。
 「私が奪ったのは、ほんの断片でしかないわ」
 私は何も悪いことをしていない、といった言い草です。まどかの思いを踏みにじっていないとすれば、確かに何も悪くありません。また「記憶」よりも「記録」の方が、「ほんの断片」のイメージに近くなります。
 「まどかがまどかでなくなる前の、ヒトとしての彼女の記録だけ」
 まどかが魔法少女になろうが魔女になろうが、ヒトとしての「記録」はこの世界に残ります。概念になって初めて、ヒトとしての「記録」はこの世界から消え去ります。ゆえに「まどかでなくなる前」は、「概念になる前」と考えた方が自然でしょう。


 かくしてほむらは、円環の理からまどかの「記録」を奪いました。奪って、現実世界の人たちに「記録」を植えつけました。鹿目まどかを認識できるようにしたのです。
 なぜ彼女にそれができたのか、という疑問には『叛逆の物語』でほむらが得た既知の能力、「記憶操作」の応用で説明が可能でしょう。
 もしかしたら帰国子女設定のまどかは、ほとんど実態が無いのかも知れません。それでも確かに、彼女が幸せに暮らす『君の銀の庭』ではあるのです。



 とまあ、ここまで書いておいて何ですが、これはこれで色々と苦しい所が出てきそうです。『叛逆の物語』のタイトルにも叛逆してますし。
 とは言え、ほむら改変後の世界がどういうものなのか、私たちは断片的な情報しか知らされていません。全てが伏線に思えるし、全てが引っかけにも思えます。また、描写の無いところで、何らかの心境の変化がほむらにあったのかも知れません。
 今は、様々な可能性の妄想を楽しみつつ、来るべきその日に備えたいと思います。




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魔法少女の寿命

 魔法少女に寿命はあるのか――このことは結構気になることだと思いますし、映画前編のオーディオコメンタリーでも、声優さんたちがネタにしていました。しかし今に至るまで、公式からは何の見解も示されていなかったように思います。と言う事は、今後の展開において、これが看過できない問題となって、魔法少女たちにのしかかって来るかも知れません。
 そこで勝手ではありますが、魔法少女の寿命についての独自設定を試みてみましたので、よろしければお付き合いください。



 魔法少女に寿命があるとするならば、それはかなり短いのではないでしょうか。戦死しなかったとしても、長くて4~5年といったところかも知れません。なぜなら、それがインキュベーターの目論見に合致しているからです。
 まどか改変前のインキュベーターの目的は、魔法少女が魔女になる際に放出されるエネルギーを回収することにありました。しかしこのシステムは、少なからぬ魔法少女がエネルギー回収(魔女化)の前に戦死してしまい、あまり効率が良いとは言えません。そのうえ、生き残った魔法少女がさらに長生きしてしまっては、ますます回収効率が下がってしまいます。
 さらにやっかいなのは、魔法少女が長生きすると、ソウルジェムの秘密が知られてしまうリスクが高くなることです。秘密を知ってしまった魔法少女は、マミでなくとも自決や心中に至る可能性が高くなるでしょう。彼らにしてみれば、丹精込めて育て上げた家畜が出荷直前に自殺するようなものですから、これほどもったいないことはありません。
 以上のことより、いかに優秀な魔法少女であっても、数年内には自動的に魔女化するシステムが、インキュベーターにとっては不可欠であったと思うのです。


 それでは、このシステムにはどのような理論的裏付けが考えられるでしょうか。以下で、全くの独自設定を述べてみたいと思います。
 まず、魔法少女の肉体は、ソウルジェムから発せられる2種類のエネルギーによって生かされていると考えられます。ひとつはジェムの中に移し変えられたその人自身の魂で、もうひとつはジェムが持つ魔力です。このふたつのエネルギーは、肉体を生かすという意味では同じですが、方向性に微妙なずれがあり、それが魔法少女の寿命を決めるのです。


 それぞれの働きを細かく設定してみます。
 魔力の働きには、運動能力をはじめとする肉体の強化と、肉体が受けたダメージの回復の二つが考えられますが、ここで注目したいのは回復作用です。回復作用には、目立った外傷の治癒はもとより、激しい体の動きを可能にするために、細胞や組織レベルでの細かい修復も必要であると考えられます。これがなければ、数メートルのジャンプを1回しただけで、全身がバラバラになってしまうからです。
 そしてその原理は、魔力によって肉体を原状(「現状」ではない)に回復させる作用、と設定してみます。つまり、魔法少女契約時点での肉体の状態を魔力が記憶しており、どんなささいなダメージも無意識下で原状に回復させる、というものです。


 一方、魂の働きによって、魔法少女の肉体は人間としての生命活動が維持されると考えられます。だから魔法少女も一般人と同様に、美味しく食事を摂り、体温は一定に保たれ、悲しい時には涙が流れ、毎月生理が来るのです。
 そして、ここに重大な問題が生じてきます。と言うのも、生きている肉体は必ず変化するからです。ことに第二次性徴期を迎えた少女の変化は早く、日一日と成長し、体型が変わっていきます。それでも、魔力が強引に原状を保ち続ようとするならば…。
 魔法少女の肉体は、生きているが成長できない。そこにギャップが生まれ、契約から時間が経てば経つほど、成長しようとする肉体を原状に戻すのに費やされる魔力は、膨大なものになっていくでしょう。そしていくら狩りが上手でも、いくら精神が安定していても、契約後4~5年もすればソウルジェムの浄化が間に合わなくなるでしょう。
 インキュベーターが言う「効率がいい」には、この回転率の良さもあったのかも知れません。
 これが、私の考える魔法少女の寿命です。


 そんな設定下での、魔法少女の運命を考えてみました。
 ある日、自分のソウルジェムの濁りが早くなったことに気付く魔法少女。インキュベーターから今ごろになって明かされる、残酷な真実。
 じわじわと迫り来る死の恐怖に、自らジェムを濁らせて死に急ぐ者。魔女狩りをやめて、早めの死を静かに受け入れる者。死を拒否しつつ。死の瞬間まで魔女狩りに明け暮れる者。他の魔法少女のグリーフキューブの略奪に走る者…。


 うわあ、何かえげつない鬼畜設定になってました。すみません…。



追記――この設定(魔法少女の肉体は成長しない)だと、不自然なベテランさんが約一名いらっしゃいますが、そこはまあ、魔法による肉体改造があったということで。





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